さよならを云えなくて善かった、

□やわらかい指が決着をつけた、
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あんまりにもびっくりしたのだ。あれっ、ていうどころじゃなくて、どういうこと、お兄ちゃんがいないとか、帰ってきていないとかじゃなくって、ランドセルも、靴も、歯ブラシもジャンバーもない。あたりまえに教科書も無かったら、当然のことお母さんの車もない。ここにあるのは、わたしと、わたしの生活の痕と、住宅の部屋がひとつ、あれ、これは、どう云うことなんだ、





(いなくなっちゃったの)


どきどきしながら、どういうことどういうこと、と部屋を歩き回って、あれもないこれもない、とどんどん期待外れの現実に導かれて往くだけだった。



(本当に、いなくなっちゃったの、わたし、どうするの、)





わたしのなかで、人生がたぶん終わった瞬間だった。



あとから色々考えた結果、普通に此処で生活していくことができない状態だったから、お兄ちゃんがクラブを辞めた善いタイミングで、誰もしらないうちにこっそりと引っ越してしまったんだと解釈した。

わたし以外の、みんなで。






「あのとき、わたしをみんなで捨ててさ、どういうことなの、云い訳でもあるっていうの、」



「……ごめん、それは、おれ、謝るしかない、」




『それ』で片付く言葉じゃない、わたし、死のうって何度も思った、
だって、お母さん、親戚の人にも善く思われていなかったし、わたし、どれだけ嫌われてきたかって、どことなく情報を得たって、どんどん評判もどん底で、




「けど、」



「…うん、」



「すこしで善いからさ、こっち側の話も聴いてくれよ、隠さねぇで、ちゃんと云うからさ、」


「うん、」


わたしはちょっとだけ、眼の前の声を見詰める覚悟ができた。




「…父さんが、借金背負わされたのは、知ってるだろ?だから、家が大変だったのも、おれがクラブ辞めなきゃいけなかったのも、」


「うん、知ってる」


「だから、喧嘩して、父さんが出て行ったのも、憶えてるよな?そのあと、母さんが夜の仕事してたのも、」


一息ずつ、順序立てて、こっちを向いて話す。
ああ、未だに何て呼んだらいいのかわからない。


「でさ、実は父さんは、出て行ったあと、あそこじゃ暮らせないからって、大家さんとかに話し通してさ、引越しの準備してたんだよ、もちろんおれは知らなかったけど、」


「でも、おまえは連れていけなかったんだ、」



「……どうして、」



「場所を変えたって、父さんの背負ったものが、急に無くなる訳じゃない、危険も多くなる。特に女の子供なんて弱者だ、何かあったらいちばんに狙われる、ただでさえ安全な社会でもないのに」

「だったら、一緒に着いてくるより、全然関係ない親戚の所で別々に暮らしていた方が危なくないって、大人たちで結論を出したんだ、」


「…今はもう、そういうのはない、でも、父さんたちがいくらおまえと暮らしたいと思っても、おまえは今、親戚なんて全然関係ない所にいて、だれも行方を知らない、連絡も取れない、それに」

「たぶんだけど、おまえに逢うのを怖がってる、恨まれてるとか、そんな風に」


頼りなく、窺う様にそう云って、話を切ったので、ああ話は終わりね、と思った。



ちゃんと全部理解できた。

けれど受け入れきれているなんてはずがない。
わたしのために、わたしを棄てるだなんて、そんなおかしなことってあるのか、





「…っごめん、急に、おれが誰とかも受け入れてねえうちから、こんな話して、」


ほっぺがくすぐったいと思えば、お兄ちゃんの右手がのびてきて撫でて、左手が肩に乗った。



こういうことか、




突然の、不幸せに違いない出来事について、間違いなく悪くない自分を除いて、家族と呼んだ人たちを、わたしは恨んでいたのか果たしてそんな暇なんてなかったのかも判らないまま、

とつぜんわたしの喉は云った。


「もういいよ、」








「お兄ちゃん、」






(正しかった?)
(だってもう、質しようも今更ないけれど)
(ああ、ああ、結局どうなるの、これから)




やわらかい指が決着をつけた、

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