カルピスみたいにまっしろな、

□甘く酸っぱい苦悩
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見舞いに行くと、にいさんは本を読んでいた。

天気が善いので病室の照明を消していても、十分に明るい。
にいさんは窓を開けたくらいで悪化する様な状況じゃないから、俺もこっちの方がすきだ。





「月刊プロサッカー、折角買ってきたのに」

「先月のはもう読んじゃったんだよ」


俺が買ってきた雑誌をちらつかせても、にいさんは一向に動じず、表装の白い今時らしい本を読んでいた。


「何の本、」

「京介はこういうの読まないかな、普通の恋愛小説なんだけど」

「へえ」


本を閉じずに一瞬だけ顔を挙げる。


「りんごちゃんに借りたんだ、リハビリしてないときは退屈だからね」


窓辺の、牛乳瓶の一輪ざしが日差しでちかっと安っぽく反射する。

どうやら彼女は、俺の居ない間にひっそりと会いに来ていたらしい。


「これ、結構善いよ」

「面白いのか、」


「面白いというか、悲しいんだけど、感動するよ」

「どんな話」


「恋人が、出逢って、男の子の方がね、病気で最後に死んじゃうんだけれど、女の子の方がね、男の子が死ぬすこし前にね、結婚しましょうと云う、当然ね、男の子は断るんだ、きみをかなしませたくはないって、ね、そうすると女の子が泣きもせず云い返すんだ、」



陽が薄い雲に心なしか陰って、すずしくなる。



「人が死んでしまったら、愛も死んでしまうのですか、」



にいさんは眼を閉じて、満足げに本を閉じる。

「京介はどう思う、」


にいさんは心持ちさっきよりも真剣な顔で、俺に訊いた。



「にいさんは、」


「俺は、その愛が本物なら、人が死んだくらいじゃ死なないと思うよ、まあそもそも俺、恋愛とかしたこと無いけど」


「にいさん、そのあと、二人はどうなった、」


「結局、男の子は間もなく死んでしまうんだ、結婚する前にね、でも女の子はそのあと別の男の人と幸せになるんだ」

「薄情な話だな」


「そうかな、だって男の子が死ぬ間際に云ったんだ、きみは別の人と幸せになってくれって、僕は次の世できみを待っているからって、」

にいさんは内容を思い出したのか軽く涙ぐんで云った。



「来世なんてないのに」

「気持ちの問題だよ、京介」





なんて無責任だろうか、自分は死んでいく身だと云うのに来世で結ばれようだなんて、まだ先のある相手に向って、それが幸せだなんだと、こういう物語の登場人物は勝手なことを云うものだ。


「勝手なものだな」


俺が呟くと差し入れに混ざっていた明日の俺のおやつを勝手に開封しながらにいさんが云う。

「そう、男っていうのは勝手な生き物さ、」


「俺のスニッカーズを横取りするくらいには勝手な生き物なんだ、」

「俺はキットカットの方が好きなんだけれどね、まあ頂いてあげるよ」


「今度買ってくる」

「ファンタも好きだよ、」



溜息を吐いて背を向けるとにいさんが云った。


「なあ京介、」


「りんごちゃんとはうまくいっている?」



「別に、」


うまく云っているも何も、あれから何かを特別にする事もなく3か月がゆうに過ぎた。
だからと云ってお互いが避け合ったりそっけなくしたりなんてことはないし、二人ともそれなりに満足している。
と、俺は思っている。


ただただ、りんごに触れてみたり、そういう抜き差しならない関係にだとかいうことを、全く一度も考えなかったのかというとそういう事ではない。
どうしてそれを実行に移せないのかというと、それは彼女がそう云う話をしたがらないのもあるが、やはりすきだ大切だと一度思ってしまうと逆に、何かしたら彼女の、神聖さというか、綺麗さというか、純粋さというか彼女の纏う様々なものががまったく別のものになってしまう気がして、彼女が別の生き物になってしまうんじゃないかと錯覚してしまう。
事に及べばそれほど大事でもないのかもしれないが、その先が判らない俺にとってはそれが、とてつもなく怖くて、せつないのだ。

にいさんにそう話すと、にいさんは俺の眼を一秒だけ真っ直ぐ見て、微笑ましそうに云った。


「大事にするのは善いけれど、あんまり先延ばしにするのも可哀想だよ、」


「何の話だよ、」



にいさんは、意味ありげにそのまま笑っている。




「判ってるよ、」


俺は溜息を吐いた。

気紛れに吹いたすこしつよい風に、まとめたカーテンがすこし震えた。




(ああこんなゆるやかに、)
(晩夏はけだるくあたたかい)

甘く酸っぱい苦悩

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