過去拍手集

□頭痛の治し方
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 ある朝9時ごろ、朝食とその片付けを終えたギルモア邸のリビングでフランソワーズはお茶を楽しんでいた。傍らにはゆりかごの上に本を浮かせて読書に勤しむイワンの姿がある。
 少し前まで一同の朝食風景と外出準備などでにぎわっていたその部屋にも今は静かな空気が流れていた。
 手元のカップが空き、フランソワーズがポットの茶葉を変えようかと思案を始めたその時、ドアの開く音が耳に届いた。
「あー…頭痛え…」
 そんなぼやきとともに頭を抱えたまま空いている3人掛けソファに倒れこむ一人の男。その姿を認めるとフランソワーズは目を伏せてため息をついた。
「なかなか早いお目覚めね、ジェット。」
 朝食にも姿を見せなかった彼のこと、どうせ用事がないのをいいことに延々と惰眠をむさぼるのだろうと彼女は考えていた。
「何がお目覚めだよ…寝てねえんだぞこっちは…」
 半分は本心で、半分は皮肉で出来たフランソワーズの言葉にジェットは仰向けのまま恨めし気に答える。
「調子に乗ってバカみたいに飲むからよ。自業自得ね。」
「グレートの奴が加減を知らねえんだよ…」
 昨晩のことだった。翌日に外出等の予定がないのをいいことにグレートとジェットは久しぶりにとアルコールを楽しんでいた。年の功なのだろうか、グレートの口車に乗せられるままに飲酒量を重ねたジェットは今この通り、ということである。
「ソファよりは部屋で寝てたほうがいいわよ?」
「頭痛くて寝れねえんだよ…痛み止めくれ。」
 二日酔いで頭が働かないなりに回復手段を考えたのだろうが、フランソワーズはあっさりとNoを突きつける。
「やめときなさい。明らかにアルコールが残ってる状態で薬なんて飲むものじゃないわ。水でも飲んでおとなしく我慢なさい。」
「んなこと言ったってロクに寝れやしねえ。治るもんも治らねえよ。」
『鎮痛剤なしで頭痛を緩和する方法があるよ。』
 そこまで黙っていたイワンが本をダイニングテーブルに移動させながら会話に割って入った。頭痛を緩和させる方法、の言葉にジェットは首を彼のゆりかごの方向へ向けて助けを請う。
「んじゃ教えてくれよ。ほんっと、頭割れそうだ。」
『オキシトシンっていう物質があってね。脳内でそれが分泌されると頭痛の緩和にかなり効果的なんだって。要は、自分の脳で天然の痛み止め成分を作れるってこと。でもよく考えたらジェットには無理かな。』
「何だよそれ、意味ねーだろ!…痛てて…」
「ジェットには無理って、どうしてなの?」
 反射的に出してしまった自分の大声に苦しむジェットはさておき、フランソワーズがイワンの話す「ジェットには無理」の詳細を問いかける。
『オキシトシンは愛情を込めて誰かを抱きしめている時などに生み出される、簡単に言えば恋人や家族、可愛がってるペットなんかを抱いていれば頭痛が治るってこと。同性はご遠慮願いたいだろうから女性にご協力いただきたいだろうけど…』
「申し訳ないけど私も遠慮願いたいわ。」
 アルコールの匂いが過ぎるもの、とイワンの言葉を遮るようにしてフランソワーズは辞意を示す。
『と、するとこの家では一人しか残らないけど彼女は先ほどギルモア博士と外出したところ。残念だったね。』
「いたとしてもちょっと抱きしめさせてなんてジェットから頼めるかしら?」
 少しも気の毒がっていないイワンの言葉を受けて、フランソワーズもいたずらっぽい笑みを浮かべ面白そうな声音でジェットを伺う。
 現在外出中の彼女にジェットが想いを寄せていることは当の本人以外には周知の事実であった。彼女にそれを示唆するような野暮なことは誰も考えていないが、彼女がいないときにはこうしてジェットが存分にからかわれるというのが最近のギルモア邸の風景である。
『そんなことが出来たら今頃片想いで悶々としてないよね。見かけによらず純情なんだから君は本当に面白いよ。』
「…うるせーよ、この野郎…」
 頭痛以外に原因がありそうな苦々しい表情を浮かべてジェットは精一杯の悪態をつく。
『まあまあ、ちょっと待ちなよ。そんな可哀想な君に耳寄りな情報があるから。』
 イワンがそういうやいなや、ジェットの目の前に一枚の紙が現れる。
『はい、どうぞ。』
「あ?なんだこれ…写真?」
 紙よりだいぶ厚手で光沢のあるそれに怪訝そうに片手を伸ばす。表を返すと、想いを寄せる彼女の穏やかな笑顔がジェットの目に飛び込んできた。
『好きな人の写真を見るだけでも苦痛が和らぐっていう研究報告もあるんだ。いい機会だから実験してみてよ。』
「可愛く撮れてるわね、本当に頭痛が治りそう。その写真を堪能しながら静かにしてなさい。」
 頭痛のせいなのか気恥ずかしさのせいなのか顔をしかめてはいるが、写真を離すつもりはないようだ。
「だから痛くて寝れねえって言ってんだろ…写真一枚で寝れたら苦労しねえよ…」



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