クロードとのそんな珍道中のある晩、その日は予定の町で宿を取る事ができず俺たちは野宿を余儀なくされていた。日もとっぷりと暮れ、焚き火を囲んでぼんやりと火を見つめているとなんだかとても眠くなる。
「私の不手際でこんな事になってしまって大変申し訳ございません」
 頭を下げるクロードに、俺は別に構わないですよと笑ってやった。せめて寝ずの番は自分が!というクロードに無理はするなと答え、一応先に仮眠をとった後、深夜に起き出して俺は無理矢理クロードを寝かしつけた。最初は遠慮していたものの、片道十日前後の道のりだ、彼も相当疲れていたのだろう、そのうち静かな寝息が聞こえてきた。彼が首都イリヤを発ってから少なくともすでに二十日ほどは経っているのだろうし、それも無理もない話だった。
 静かだった、アジェが屋敷を出てからすでに一週間あまり、自分もまたずいぶん遠くまで来てしまったものだ。今頃アジェはどこで何をしているのだろうか、と考えるともなく考えてしまう。思えば彼と出会ってからこれまで、こんなに長いこと顔を合わせない生活は初めてだった。
 ランティス王国への道程はこちらの道程より余程長い、たぶんまだ旅路の半分も旅は進んでいないだろう。
 出発の朝、色々な事がありすぎて危うく失念する所であったが、屋敷にグノーはいなかった。何時からいないのか、何処へ行ったのか分からなかったが、俺はグノーはアジェに付いて行ったのではなかろうかと思っていた。根拠があるわけではないし、希望的観測ではあったが、それはほぼ確信だった。
 悔しいけれど彼は強い、アジェが一人で旅をしている事を思えば、まだグノーと一緒にいてくれている方が安心できた。
ただ、そのアジェの隣に何故グノーではなく自分を置いてはくれなかったのかと憤りは隠せなかったが…
会いたくて仕方なかった、会いたくて会いたくて、今からでもここから引き返してしまおうか、と一瞬そんな考えが頭をよぎる。彼等はおそらく徒歩で旅をしていると思われたので、馬で追えばまだ簡単に見付けられる可能性は高かった。
しかし、小さく首を振って俺はその考えを頭から追い出した。自分は存外お人よしであると思う。領主様にこれ以上悩みの種を増やす事はしたくなかったし、知ってしまったクロードという人物。自分がいなくなれば困るんだろうな、と考えてしまう自分に笑いがでる。
「本当に、俺ってお人よしすぎ」
誰の事も構わない、アジェさえいれば…その想いとは裏腹にアジェはそんな事は望まないとも思うのだ。アジェは優しくて、優しすぎて自分の全てを犠牲にしてでも相手の為に尽くしてしまう、そんな彼が心配でならなかった。
「会いたいです、アジェ様」
 触れたい、声が聞きたい、またあのアジェの笑顔を見せて欲しい。しかし、それは今となってはとても叶う事のない夢のように思われ、ひとつ大きなため息を落とした。
空は白々と明るくなり始め、今日もまた一日が始まる。イリヤはもう目の前だった。俺は一刻も早くアジェを追えるようにと眠るクロードを尻目に朝食の準備を始めた。


 故郷ルーンの村を出てから十日、俺たちはようやく首都イリヤにたどり着いた。だが、そこは田舎者の俺には全ての物、人口もそうだが、建物の数から店の数まですべてが桁違いで唖然とするばかりだった。
「ぼんやりしていると、はぐれますよ」
「ああ、そうですね…」
 だが、答えながらも戸惑わずにはいられなかった。クロードは人込みをすいすい抜けて歩いてゆく。俺はその勝手が分からず逆から来た人や、後ろから追い抜いていく人波に揉まれ、じたばたと彼の後を追っていくのがやっとだった。
 そうやってしばらく行くと、一本道を抜けただけだと思うのだが突然人込みが途切れる。
「助かった…」
 俺はほっと胸を撫で下ろした。
「ここから先は一般の方は立ち入り禁止ですからね」
「へ?そうなんですか?」
 一体何処にそんな境界線があったのだろうか?そして一般とはどこからどこまでの人物を指すのだろうか?
「エディ様も、あまりキョロキョロなさっていると見張りの兵士に追い出されますので気をつけて下さいね」
「…悪かったな、田舎者で」
 見たくて見ている訳ではない、ただ何もかもに驚いているだけだ。自分はこれまで決して他人に劣った人間ではないと思って生きてきたが、そこはまるで別世界のようで、俺は自分がとても小さな人間になった気がして仕方なかった。
 クロードは無表情にすたすた先を行く。おそらくこの辺は彼にとって庭のようなものなのだろう。閑静な通りの両脇には大きな屋敷が点在している。あれだけの人がいるのだから、さぞかし住宅事情は悪そうだと思うのだが、ある所には広大な土地もあるものだなと変な感心をしてしまう。皆で平等に土地を分ければあんなに混雑する事もないだろうに…と。
「さぁ、着きましたよ」
「はぁ、ここは?」
「私の住まいです」
 住まい、という事はここに住んでいるという事だよな?俺はおそるおそる尋ねる。
「一人で住んでるのか?」
「家族とは暮らしていないと言いませんでしたか?」
 確かに言っていたが、そこは家というにはあまりにも広く、そして大きかった。領主様のお屋敷よりも遥かに大きいだろうその建物は、何かの公共機関だと言われた方がまだ納得のいくお屋敷で俺はとりあえず力なく笑った。
「私は王に帰還の報告に行ってまいります。部屋はお好きな所をお使い下さい」
 クロードは帰宅と同時に即座に現れた執事になにやら指示を出して、俺が呆然とロビーを眺めている間に姿を消してしまった。
「……様、エディット=ラング様?」
「あっ、はいっ?」
 名前を呼ばれて慌てて振り返る。
「私はマイラー家に代々勤めております執事のエドワードと申します」
「あ、はい」
「もしよろしければ、お部屋にご案内致しますが、いかが致しましょう?」
「あ、はい。よろしく、お願いします」
 エドワードに圧倒されて言葉尻が小さくなる。彼は主人に似て無表情だった。そして、更にそれに加えて体格がいいので威圧感があるのだ。妙な迫力に押されて戸惑うと、彼はくるりと背を向け、こちらですと部屋に案内してくれた。
すでに家の中で迷いそうなその広さには、ただただ唖然とするばかりで俺は部屋に通されても言葉が出ない。その部屋は俺の自宅がそのまま納まるのではなかろうかという広さで、またしても力ない笑いが零れる。
「こちらでよろしいでしょうか?もしご不満な点がございましたら別の部屋もご用意できますが」
「充分です」
 むしろ部屋の方が俺を選ばないんではなかろうか…あまりの場違いさに俺はまたしても言葉を失った。
「それでは、御用がありましたら、そちらのベルでお呼び下さい」
 言ってエドワードは俺を置いて部屋を出て行く。なんとも居心地が悪かった。
「なんだよ、コレ」
 とりあえず近くにあったソファーに座るが、あまりの柔らかさにもふっと埋まってしまい、気持ちはいいんだが、やはり戸惑った。
 イリヤの街も想像を遥かに越えすごかったが、クロードの屋敷はそれを更に凌いでいた。確かにクロードが貴族の子息だという事は聞いていたが、次男で後継ぎではない事も聞いていた。自分の中で貴族といえばアジェであり領主様であった、なので家といってもせいぜい領主様のお屋敷か、一人で暮らしているのだったらもっと控えめな家を想像していたのだ。到底こんな豪邸は想像の範囲外、むしろ自分の考えていた王宮並の邸宅に言葉もなく呆れるばかりだ。
 これはクロードの地位が相当高いって事なのか?それとも首都だったらこれくらいが当たり前なのか?
「って事は、王宮はもっとデカイって事か?」
 想像もつかなかった。そして、はたと気付く。
俺、旅すがらクロードに散々失礼な事言ってるんですけど…「はは…今更か」
そういえば、アジェにも最初はタメ口だったっけと己をふり返る。
「あ〜あ、場違いだなぁ」
 自分のいるべき場所ではないと思うとなんだかとても居心地が悪かった。一度そう思ってしまうと、立っても座っても寝転んでも居心地が悪い。
「ちょっくら探検にでも出てみるか…」
 日はまだ高かった。俺は窓から周りを見回すとひょい、とその窓枠を乗り越え歩き出した。

 首都イリヤはとてつもなく広かった。三時間もあれば主要ヶ所を全部回れてしまうルーンの村とは大違いだ。
俺は少し小高くなった場所に立っていた教会の搭の上から眼下を見下ろしながら、ランティス王国の城下町もこんななのだろうか?と途方に暮れていた。
もし、ランティス王国、首都メルクードもこれだけ広いのだとしたら、アジェを追いかけて行ったとしても、果たしてこの人口の中からたった一人を見つけ出す事などできるのだろうか?
まったく甘かった、と自分の考えに呆れ、自分の世界の狭さを知る。
「世界は広いなぁ」
 それでも自分はアジェを探し出すと決めてしまったのだ、後悔はしたくなかった。
「アジェ様、私は必ずあなたをを探し出します!」
 待っていて下さいよ、と決意を新たに固め、俺は搭から飛び降りた…ところまでは良かったのだが
「はて、帰り道はどっちだったか…?」
 無計画に歩き回っていたおかげでさっぱり方向が分からない。お日様も建物の陰に隠れてしまって方向をつかむ手段が手に入らない、右を見ても左を見ても同じような建物が続く路地はまるで迷路のようだった。

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