「笑えない冗談だなソレ。そういう嘘は、時と場所と相手を選んで言うもんだぜ親父」
「嘘でも冗談でもございません、正真正銘この方がファルス王国国王陛下でございます」
「まぁ、まだ正式に即位した訳じゃないがな」
 親父は愉快そうに可ゝと笑い、俺はその姿を見て自国の行く末を真面目に不安に思った。
そんな馬鹿な話が信実だとは俄かに信じられず聞くと、親父はファルス現国王様の弟なのだそうだ。妾腹であることもあり、悠悠自適に暮らしていたのだが、兄である国王が病に倒れ、国王に男の子息がいなかった事もあり、急遽白羽の矢が立ったのだという。
国王はまだ存命ではあるのだが、後はお前に任せたと、さっさと療養に入ってしまったという事で、実質現国王は親父という事になっているらしい。
「胡散臭い国王だなぁ、元大工の王様なんて聞いたこともない」
「本当になぁ…」
 親父自身にも戸惑いがあるのか神妙な顔で同意した。親父と意見が合うのは本当に珍しい事だ。
「陛下は地方におられる間も各地を巡り、国の治安と保全を守っておられたと聞き及んでおります。兄王様も陛下には絶対の信頼をおいておられました」
「よせ、よせ」
 ただ気まぐれに放浪の旅に出ていた訳じゃないという事か。よくもまぁ、十数年も身分を隠してあんな辺境の街に暮らしていたもんだ。言うと、あそこにはレネが居たからな、と親父は笑った。母はアジェの事もあり、あの街から出る事はできないと親父に言ったらしい。家族もできたし、なにより安心して暮らせる街だったからなと親父は言った。
「今でも俺は、あそこが自分の故郷だと思ってるぜ」
 親父の言葉に、不本意ながら俺も頷いた。帰りたいと思う、アジェと一緒に暮らす街だ。その為にはどうしても俺は行かなければならない。
「まぁ、そんな事は置いといて、手合わせしないのか?」
「ああ、クロードさん」
俺はクロードを外に促した。
向かい合って一礼、そして勝負はあっけないほど簡単についた。俺は三回、彼の攻撃をぎりぎりの判断でかわしたが、四回目の攻撃、剣は驚く間もなく宙を舞っていた。攻撃を仕掛ける隙などまるで無かった。
「勝負あったな」
 親父はしてやったりといった笑みで笑う。
「なんだよっ、くそっ」
 俺は子供のようにふてくされて、しゃがみ込んだまま地面を睨んだ。まるで相手にならなかった。自分は決して弱い人間ではないと信じていただけに、悔しさはひとしおで、まるで子供の手を捻るようなクロードの姿が悔しくて悔しくて顔を上げる事ができなかったのだ。
「エディ様?」
 いつまでも立ち上がらない俺にクロードは不審気に声を掛けてくる。
「・・・からな」
「……?」
「絶対勝ってみせるからなっっ、今に見てろっ!」
言って俺は駆け出した、悔しかったしそんな自分が情けなくて、居ても立ってもいられなかったのだ。
その背を見送って、クロードは笑った。それは滅多にお目にかかれることはないだろう綺麗な笑顔で。ブラックは「おっ?」と眉を上げる。
「いいんですか、行かせてしまって」
 だがやはりその表情は一瞬で、またすぐにいつもの無表情に戻ってクロードは言った。
「大丈夫。一応手の者付けてあるから」
「陛下…もし宜しければエディ様のお目付け役を、私に任せてはいただけないでしょうか?」
 突然の申し出にブラックは驚きの表情を隠せない。
「いいのか?手がかかるぞ」
「構いません」
「そうか、お前が面倒見てくれるなら、俺も安心だ。よろしく頼む」
 実はブラックとクロードの歳の離れた兄とは旧知の仲で、ブラックはクロードの事はかなり幼い頃から知っていた。
もの静かで無表情、兄もこの弟にどう接していいのか悩み、たびたびブラックに相談を持ち掛けていたのだ。
クロードはとても有能だったが、話を聞く限りでは、友人も作らず一人を好むようだと聞いていたのだが…
「ありがとうございます、それでは」
 礼をして立ち去るクロードの背を見て、どういった風の吹き回しなのかとブラックは首を傾げた。


夕暮れ時、俺はクロード邸に戻っていた。そのまま駆けて駆けてランティス王国に向かってしまう事も考えたが、一度した約束を違える事は俺の信条に反した。同時に今のままの自分では親父の言うとおり、アジェを守るどころか命を危険にさらす事にもなりかねないと、今日の手合わせで痛感したのだ。
俺は弱い。ルーンでの兵士との一件を思い出すといまだに悔しさがこみ上げる。グノーが居なければ、おそらくあの時自分はアジェを守りきることは出来なかっただろう。このままじゃ駄目だ、そう思った。
「クロードさん、俺に剣の稽古つけて下さいっ」
 俺は帰ってきたクロードに頭を下げた。
「本日、陛下からエディ様のお目付け役の職務を賜りました。手加減は致しませんよ」
「望むところだ!・・ですっ」
 クロードは首を傾げる。俺はクロード邸に帰ってきて初めてエドワード執事にクロードがファルス王国騎士兵団・第一隊隊長であることを聞いた。ようするに隊長の中でも一番偉い人だ。
 ついでにマイラー家というのが王家に一番近い貴族で、王家の中に何人も血縁のいる由緒正しき家系なのだとも聞いた。
はっきり雲の上の住人だ。一生のうちにお目にかかる事など無いと思っていた肩書きのオンパレードだった。ただ、現在王と呼ばれている人間が自分の養い親なので、偉いの感覚がピンとこないのだが、とりあえずタメ口は駄目だろうと悔い改めたのだ。所詮自分は一般庶民、国の中に歴然とある上下関係には非常に弱かった。そもそもクロードは俺よりも年上なのだから、やはり年上は敬っておかなければ駄目だろう。
「エディ様?」
「いや、もう様付けも止めて下さい。俺…私は貴方を師と定めました。これからは呼び捨てで、敬語も一切必要ないです」
「では私の事もクロードとお呼び捨て下さい」
「は?」
「貴方は陛下の御子息です、私が軽々しくお呼び捨てするわけには参りません」
「いや、でも、俺と親父の間には血縁ないんですけど…」
 自分はブラック=ラングの息子であって、決してブラック=ディーン=ファルスの息子ではないと思う。
「しかし、陛下は貴方を我が子同然に思っていらっしゃいます」
 まぁ、一応親子として暮らして十数年、疑った事もなかったけどな。俺は唸って考える。
「じゃあさ、俺もクロードさんのことクロードって呼ぶから、俺の事は呼び捨てで、ついでに敬語もなしって事でどうです?」
 しばし思案の後、クロードはそれを承諾した。
「じゃあ早速、クロード、剣の稽古つけて下さい!」
 クロードは頷くとその晩から容赦ない剣の稽古が始まった。
クロードに手加減という言葉はない、いや、もしかしたらしているのかも知れないが、それを微塵も感じさせないそのしごきは親父の無茶な稽古に慣れていた俺ですら音をあげるほどの苛烈なものであった。自分で言い出したことではあったが、少し後悔の色を隠せない自分がいた。


 結局その後、俺は家族のいる王宮には住まず、クロードの邸宅に留まる事に決めた。弟妹は寂しがったが、本来自分は全くの赤の他人な訳だし、のうのうと一緒に王宮に暮らすのも気が引けたのだ。その代わり週に一回は顔を出すように母に言われ、そんなに長居をするつもりはないのだけれどと思いつつ頷いた。
 父も母も弟妹も皆が自分を家族だと認めてくれていた、それがなんだかとても嬉しかった。
 だが、そんなある日。ある情報が宮殿に飛び込んできた。
「アジェ様がランティス王家に囚われたらしい、グノーも一緒だ」
 恐れていた事が起きてしまった…自分の到らなさに拳を握る。
「まぁ元々ランティス王家の人間だから、囚われたって言い方はおかしいんだが。とりあえず今の所、命の危険は無さそうだ」
 親父はそう言ったが、俺はそんなに落ち着いてはいられなかった。アジェの所在が分かった事は素直に嬉しかったが、命の危険はないとはいえ囚われているというのだ、落ち着いていられるわけがなかった。
「親父!」
「今、手下になんとか救助できないか連絡とってる所だよ。だが王家の王宮ともなるとなかなか手も出せねぇなぁ」
 自分の無力さに腹が立つ。一刻も早くアジェの元に行きたいのに、俺はいまだクロードに一太刀掠ることも出来ずにいた。
当のクロードはそんな俺の苛立ちを知ってか知らずか、のほほんと俺の背後に付き従っている。彼は俺の行く所どこにでも着いてくる、その姿はさながら親鳥を追う雛のように。
「エディ」
「分かってる、まだ行かない。行けない、でもっ」
 悔しい、なんで俺はこんなに無力なんだ。自分の弱さ、何も出来ない歯がゆさが悔しく、情けない。
 実際の所、エディは決して弱い訳ではなかった。兵の訓練に混じっては戦う彼の剣さばきは数十人でかかっても敵う物ではない、しかしクロードはあまりにも強すぎた。通称白面の騎士は向かう所敵なしの剣豪だった。どんなに体格差のある相手でも、力負けする事もなく、軽やかに勝利する。それはあたかも剣舞を舞うように。
 クロードは複雑な気持ちでその場にいた。彼を大事な人の元へ行かせてやりたいとは思う、しかし手加減をする事は彼も許さないだろうし、自分もそんな曲がった事は出来なかった。
 アジェという人物を自分は知らないが、ここまでエディが崇拝するのだから、きっと彼にとって本当にとてもとても大事な人なのだろうという予想はついた。それほどまでに彼に想われる人物を見てみたいと、クロードは柄にもなく思っていたのだ。
 エディがふぃっと立ち去った後、クロードはブラックに問う。
「陛下、もし仮にですが、私が着いて行けばエディ様をランティス王国に行かせても良い、とはお考えにはなられませんか?」
「何?」
「差し出がましい事かもしれませんが、このままでは事態が良い方向に向くとは思われません」
「だが、エディをランティスに行かせたからといって事態が好転するとも思えん」
「しかし、このままではエディ様があまりにもお可哀相そう で…」
 ブラックだとてそこの所は分かっているのだ、アジェにしても幼い頃から妻と一緒に見守ってきた大事な子供だ、助け出してやりたいという思いはエディと変わる事はない。だが、あまりにも相手が悪すぎるのだ。そしてその事を自分はよく知っていた。
「…もし、視察という形でなら」
「え?」
「アジェ様を救助する事は一切考えず、ランティス王国の視察という形でなら、許可を出してやらん事もない」
「視察…ランティス王国及びメリア王国の動向把握ですね?」
「そうだ、勝手な行動は一切許さん。これは外交目的だ、それをエディに納得させられるか?」
「承知致しました。ありがとうございます」
 クロードは足早にブラックの前を辞していった、エディにこの事を一刻も早く伝えてやりたかったのだろう。
「俺もまだまだ甘いな」
 国王という立場と、父親の立場が上手く両立できていない。何事も起こらなければいいが、とブラックは呟いた。

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