時は少し遡る。エディがクロードを相手に奮闘していた頃、アジェとグノーは相変わらず呑気な旅を続けていた。
 街を出てから十日あまり、道程はまだまだ長かったが、二人はすでにランティス王国に入り、僕は見慣れぬものを見てははしゃぎ、笑い、グノーに空元気と小突かれながらも穏やかな旅を続けていた。
「なんかさぁ、お婆様からの手紙でメリアがランティスに侵攻してきそうだって書いてあったけど、なんか全然平和だよね。やっぱり平和が一番だね」
 伸びをしながらそんな事を言うと、グノーは少し険しい顔でそれは初耳だと呟いた。
「あれ〜?旅しててそういう噂聞かなかった?結構有名な話だよ?」
「知らねぇなぁ。俺は最近山の中ばっかり巡ってたからさ」
「そっか〜でも噂だからね、あてにならないかも」
「メリア…か。奴等ならそういうこと考えても不思議じゃねぇなぁ」
「あれ?グノーはメリアにも詳しいの?もしかしてメリア出身とか?」
「ああ、まあな」
 グノーはなんだかばつが悪そうに言葉を濁す。グノーはあまり自分の事を話たがらない。全く答えてくれないという事はないのだが、核心部分に触れようとすると、必ずのらりくらりとかわされてしまうのだ。不思議な人だと思う。
「ねぇ、メリアってどんな所?」
「そうだなぁ、まぁ一番有名なのは学者が多いって事だろうな」
「ああ、そうだよね。学問学ぶならまずメリア、農業学ぶならとりあえずファルス、芸術学ぶなら行っとけランティス、だよね?」
「はは、まぁそんな所だ。頭でっかちの人間ばっかで、俺みたいな人間には居心地悪い国だったけどな」
「へぇ、他には?」
「カラクリとか有名だな。人形が自動で動いたりするやつ」
「人形が動くの?」
 一体どうやって動くというのだろうか?ぬいぐるみのような物が歩いたりするという事なのか?
「まぁ動力は色々だが、歩いたり跳ねたりするな」
「本当に?スゴイ!いいなぁ、見てみたいなぁ」
「興味あるのか?」
「え?だってどんな物かさっぱり想像もつかないもん。見てみたいよ」
「ふーん、じゃあ今度簡単なのでよければ作ってやるよ」
「作れるの?スゴイ!グノーって強いだけじゃなくて頭もいいんだねぇ」
「別にたいしたもんじゃないぜ?」
「でも動くんでしょ?凄いよ。尊敬」
「そっか?」
 グノーも褒められて悪い気はしないのか照れたように笑った。
「それにしても、本当にエディの奴こねぇなあ」
 グノーは呟く。エディは来ない。これは自分が望んだ事だ。グノーは絶対奴は追ってくると断言するが、僕としてはエディが現れない事にほっとしていた。
 一方グノーは不審感あらわに考える。別段逃げ隠れして人目を避けて旅をしているわけではない、そろそろ追いついてこないというのはどうにも変だ。何かトラブルでもあったかな?と推測する。
 アジェは自分の命を狙うもの、自分を捕らえようとする者がいると分かっているのに全く呑気なものだ。ケタケタと笑い興味の引かれるところには小さな子供のように駆けて行ってしまう。実際彼に気取られる事はなかったが、グノーはすでに不埒なやからを何人か返り討ちにしていた。そして、いつでも何をするわけでもないが自分達を見ている目があることにも感付いていた。
 面倒だなとは思うが、ここまで乗りかかった船を今更下りるわけにもいかず、グノーは静かに周りの動向を窺っていた。

「そういえばさ、僕ランティス王国の事って何にも知らないんだよね。メルクードが芸術の都って呼ばれてるのは知ってるけど、それくらいかな」
「まぁ目立った産業もないしな。でも街は本当に綺麗だぜ」
「行ったことあるんだ?」
「俺はこの大陸で行った事のない場所はない」
 グノーは胸を張って笑う。
「まぁしいて行ってない場所を挙げるなら、カサバラ渓谷と山脈の間にあると噂の、幻の村ムソンだけだな」
「幻の村?っていうか、あそこ人なんか住めないでしょ?」
 カサバラ渓谷と山脈の間といえば断崖絶壁で行き来する事すらままならないというのに、ましてや住む事などできようはずもない。
「だ・か・ら・幻なんだよ。俺はここ最近その村探して旅してるんだ」
「へぇ、なんか伝説でもあるの?例えば財宝があるとか!」
「いや、特に聞いた事はないな。でも住民は凄く身が軽いらしって話は聞いた事がある。常に山と渓谷の上り下りしてるからニ・三十mくらいの高さからなら平気で飛び降りるし、背中に翼があるんじゃないかって噂もある」
 それではまるでエディみたいではないか。年を重ねるごとに村人は皆エディのように身が軽いという誤解は解けたが、あそこの一家は本当に驚くほど身のこなしが軽いのだ。一体どんな生活をしているとああなるのかと、常々不思議には思っているのだが、エディにはいつも知らなくていいですよ、と苦笑いをされてしまい、結局それを知る事は出来なかった。
「幻の鳥人なんだね」
「そういう事」
「楽しそうだね、僕も連れてってよ」
「おう、一度メルクードに着いたらな」
「約束だよ、グノー」
 言って笑うと、グノーもまた照れたように笑う。グノーは本当にいい人だ。兄がいたらこんな感じなのではないかと思う。
エディも兄のようなものだったが、それはまた違う感情を伴っている事に自分はすでに気付いてしまっていた。この恋は叶わない、だから逃げ出した。自分はずるいと思う。しかし他に方法を思いつかなかったのだ、エディが好きだ。
「どうかしたか?」
「ん?なんでもない」
 僕は笑う、苦しい事など何も無い。ただ笑っていれば、全て忘れられるから。

 そんなある晩、苦しそうな呻き声に目を覚ます。
また、だ。
グノーと旅をはじめて何日か経った頃にはすでに気付いていた、グノーは夜になるとまるで何かに怯えるように神経を研ぎ澄ませている事が多かった。それはほぼ毎日だと言ってもいい。
知って、だが僕はそれに気付かない振りで旅を続けてきた、彼がおそらくその事を知られたくないと思っている事が分かってしまうから。彼は、僕には悟らせまいと、あえておどけて笑うのだ、その姿がまるで自分を見ているようで何も言えなかった。
グノーはあまり寝る事が無い、寝ない事など出来ないのだから寝ていない事はないのだろうが、自分は彼が寝ている姿をあまり見る事が無かった。そして、寝ている時は常にうなされ、そして飛び起きるのだ。その姿は見ているだけでもとても痛々しく、昼間のおどけた彼とのギャップに正直戸惑っていた。
「グノー、グノーっ!」
 さすがに居たたまれなくなって彼を揺り起こす、苦悶の表情は本当に苦しげで、見ているこちらが苦しくなってしまう。
「あっ!うわぁっっ!」
 揺さぶる手を振り払われるが、僕の顔を見て自分が今どこにいるのか認識したようで彼は小さくごめんと謝った。
「なんか凄いうなされてたよ?大丈夫?」
「あぁ、大丈夫、大丈夫だ…」
 それは僕に言う、というよりは自分に言い聞かせるように彼は何度も大丈夫と繰り返す。
「悪い、起こしちまったな…」
「ううん、全然平気。僕もあんまり寝られなかったんだ」
「そうか…」
 暗闇に沈黙が落ちる。
「ねぇ、グノー」
「…ん?」
「グノーってさ、強いよね?それでも、うなされるくらい怖い事ってあるの?」
 一瞬の沈黙、その後彼は自嘲気味な声音で言った。
「俺は強くない。俺は逃げてばっかりだ」
「信じられない。グノーはいつも楽しそうだし、悪い奴だって簡単に倒しちゃうのに」
「知ってたのか?」
 彼は自分には言わなかったが、自分を襲おうとした人間を何人も返り討ちにしている事に気付いていた。でも彼はその事を恩に着せるでもなく、何も言わずに笑うから、感謝しているのに何も言えなかったのだ。
 長い沈黙の後、彼はぼそぼそと呟くように語りだした。それは何度聞いても答えてはくれなかった彼の過去。
「俺は昔、ある人間から逃げ出したんだ。その事で他の奴らに害が及ぶ事を知っていて、逃げ出した。俺は自分が可愛かったから、弱かったから、立ち向かう事は出来なかったし、今でも怖い。いつまた奴が追って来るかと思うと震えがくるほど怖い」
「・・・・」
「幻滅したか?」
「ううん、ちょっと驚いてる。けどやっぱりグノーは強いと思うよ」
「・・・・・」
「グノーはいつも楽しそうだったよね、笑っていてくれたから僕、すごく安心できた。きっと一人だったらもう動けなくなってたと思う。でもグノーはずっと一人で旅をしてきたんだろ?寂しかったよね」
 彼は顔を手で覆ったまま動かない。
「僕、グノーが誰から逃げてるか知らないけど、ずっとずっと一人で戦ってたんだよね、今も戦ってるんだよね、グノーは強い、僕はもう…」
 嗚咽に言葉が詰まる、涙がぼろぼろと零れて落ちた。
「…うちに帰りたい、エディに会いたいよ」
「帰る場所があるんだから、帰ればいいじゃねぇか」
「帰らない、帰れないよ…」
 グノーは困ったように僕の頭に掌を乗せ少し乱暴に、わしわしとかき回した。
「僕も強くなりたい、弱い心と戦っていかなきゃ、生きていけない」
 自分の笑顔はいつも強がりだ。泣きたい時ほど笑ってしまう、その事に気付いたのはエディが初めてだった。泣いていいと抱きしめられた時、本当に嬉しかったのだ。エディだけは自分を分かってくれる、そう思った。手放したくなどなかった、でも、自分がいたら彼は絶対に僕を立ててしまう、彼の本来いるべき場所を、僕は奪ってしまう、そんな事は耐えられない。
 グノーの今までの人生がどんな物だったのか、よく分からないが、苦しんでいる事はよく分かった。彼は強い、だがとても弱い。それでもそれを一人で受け止め生きてきたのだから決して弱いだけの人間ではないと思う。
だから僕はグノーの手を取り、顔を覗き込んだ。
「ねぇグノー、僕達、似たもの同士かもね。僕達、一緒に戦おうよ?二人がかりだったら、怖い事だってなんとかなるかもしれないだろ?グノーだって一人で戦って、頑張らなくてもいいんだよ?」
「お前、弱いじゃん」
「これから強くなるんだよっ!」
 言葉に彼は小さく可笑しそうに笑う。そしてくすぐったそうに「頼もしい相棒ができたな」と言ってくれた。
「よろしくね、相棒!」
「おお」
 それはお互いがお互いの傷を舐めあうような、そんな行為だったのかもしれない、それでも二人はまるで、そのお互いの手に縋るように笑ったのだ。

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