髪の色がね、変わってしまったのよ」
 サラの記憶の中からは、本物のアジェとの記憶が抜け落ち、アジェの幼い頃まで記憶は後退してしまった。領主様もそこまで信実を見ることが辛いのならと、口をつぐみ、この子を実子として育てようと決めた、しかし、
「アジェじゃないわっ、この子、アジェ、アジェはどこ?」
 年月を重ねるごとに、子供の髪は見事な金髪から、赤茶けた髪の色に変色し、その事が奥方様をひどく混乱させたのだ。自分の子供は自分と同じ髪の色をしていたはずだから、連れ去られた時ももちろんその髪の色だった、本物のアジェの年齢に子供が近づけば近づくほど混乱は激しくなっていったのだ、そしてついに領主様は子供を奥方様から取り上げた…
「そんな…」
「髪の色なんて、子供のうちは変わっても不思議じゃないのだけど、それが理解できなかったのよ、どうやっても連れ去られた本物のアジェ様の記憶が、無意識でこの子を拒否してしまったの」
「そんなのって、ひどいよ!」
 名も与えられず自分の物ではない人生の上に乗せられ、何も知らされず、まわりの大人達に振りまわされてここまで育ってきたのだ。母の愛もほとんど知らないまま。彼はアジェであってアジェではない。そんな事があっていいのか?母親は彼を認めない、記憶の中からも消してしまった…
「この子にはつらい人生を与えてしまったわ…」
 レネは呟く、まるで我が子を見るように。変な言い回しだと思ったが、黙ってアジェを見た、まだ小さいのに、この子には本当の家族は誰もいないのだ…
「さぁ、あんたはもう行きなさい。お前だけならどっからでも抜け出せるだろ?」
 実の母ながらひどい言い草だ、確かにアジェという足手まといがいない今こんな所、入り放題、抜け出し放題だけど…
「アジェ様は…?」
「後は私がなんとかするから」
 さっさと行け、とまるで猫の子でも追いやるように手を振られる。俺は部屋を抜け出して、塀によじ登り一目散に屋敷を後にした、後ろ髪を引かれながら。

「ただいま〜っと、うわっ」
「おかえり、兄ちゃん!」
 走ってきた勢いのまま妹、弟が飛びついてくる。よしよしと頭を撫でてやっていると、突然背後に殺気を感じて弟妹を抱えて飛び退った。自分が先ほどまでいた場所を剣が空をかく。
「…てめぇ…俺を殺す気かっっ!本物の剣なんか使ってんじゃねぇよっ!しかも、こいつらに当たったらどうすんだっ!」
「そんなヘマしないだろーが?」
 へらっと笑って親父は剣を肩に担ぐ。
「万が一の事を考えろっ!こいつらに怪我でもさせてみろ…母さんにどんな目にあわされるか…」
「それは言うな、っていうか、俺がそんなヘマするかよ」
 漆黒の髪の大男、これが俺の親父、ブラック=ラングだ。妹のルネに弟のジャンは二人のやり取りをケラケラ笑いながら纏わりついてくる。
「それより、今日屋敷で何かあったみたいだな?」
 親父はどかっと椅子に座り俺を見上げる、
「相変わらず情報早いな…どっから仕入れてんだよ」
「企業秘密☆」
 親父は謎の多い男だ。自称大工、確かに大工の腕もいい…がその仕事振りは片手間だ。いつ仕事をしているのか年の半分は家にいる。そしてたまにふらりと旅に出てしまうのだ。よく我が家には強面の男達が訪れてはなにやら父と話し込んでいたりする、おかげで我が家は実は山賊の隠れ家なのではないか、とか、父はどこかから逃れてきた罪人なのではないかと根も葉もない噂が後を絶たなかった。
だが、強面の男達が暴れたり、父が乱暴だったりする事はなく、あくまでもそれは噂にすぎない、分かる人間にはすっかり馴染んでいるのだが、それでも黒髪と金髪しかいない我が家はあからさまによそ者である、それに加え役に立つのか立たないのか分からないような特殊技能をこの父に叩き込まれ、俺の身は猿のように身軽だ。剣も使えるし、素手で戦ってもそこらの大人にすら負ける事はない、それは弟妹も同じ事で、我が家の人間は変わり者として完全に村の中からは浮いてしまっていた。
この事について何度か父に意見をした事もあったが「我が家の家訓だから」とまるで取り合ってはくれないので、俺はその事についてはすでに諦めていた。
「で、何があった?」
 改めて父に問われ知らん顔で弟を抱き上げる。
「何でもない…」
「本当に?」
 疑り深く見つめられそっぽを向く。
「母さんに聞いてよ、俺だってよく分からないんだから」
「そうか…」
 父はそれ以上の追及はしてこなかった。自分もどこまでの話をしていいのか判断がつきかねた、今日聞いたこと、知った事は本当は知ってはいけない事だったと分かっていた、だから俺は口を噤み判断を母に委ねた。
 その後、父は母から話を聞いたのかどうなのか、とりあえず二人はその事について何も言いはしなかった。ただ、当分の間屋敷には行くなと母に言われので俺はそれに従った。

 数日、俺は考えるともなく考えながら丘の上に来ていた、アジェの事は気になっていたが、行く事を止められている以上何も出来やしなかったし、行った所で何ができる訳でもない事は分かっていた。
「見付けたっっ!」
 と、突然背後から叫ばれ振り返る
「アジェ…様?」
 駆けてきた勢いのまま止まれなかったのか、追突されてよろめく、驚いた。息を切らしてしがみつく小さな体は間違いなくアジェだった。
「なんで…?いや、どうやって…?」
 部屋から出る事もままならないはずなのに、一体どうやってここまで来たのか、いや、それ以前に何をしにこんな所まで…?
疑問が頭を巡り混乱する。
「あのね、あの…」
「…とりあえず落ち着け」
 自分に言っているのか、アジェに言っているのか、深呼吸させてとりあえず落ち着かせる。
「探してたんだ、あのね、屋敷に来てほしくて、探してたんだっ」
 言葉に疑問符ばかりが頭を巡る
「あ〜でも俺、屋敷に用ないし…たまにしか行かないんだ、母さんの手伝いで」
 何も知らない彼に変だと悟られないように、へらっと笑って答える。
「僕、聞いてたんだ、あの日」
「えっ?」
「あの日、エディ達の話聞こえてた。それで父さまに直接聞きに行ったら、全部話してくれた」
「…そうか」
 起きていたのか…迂闊だった。
「僕、なんで母さまに会っちゃいけないのかも、母さまがなんで僕を見ても声を掛けてくれないのかも全部分かった」
 一生懸命語る姿に言葉もかけられず、ただ黙って頷く。
「でも、父さまは僕はアジェだって言ってくれたよ、自分の息子だって抱きしめてくれた」
 まだ7つの子供には辛すぎる現実だろうに、彼はにっこり笑う。
「それでね、あの日から母さまの調子が良いんだよ、アジェが来てくれたって、嬉しそうに話してるって、寝たきりの事多かったのに、アジェの為にお菓子作るんだって、エディのお母さん困らせてた」
 彼は笑う、嬉しそうに。そのアジェは自分ではないと知りながら。
「僕、優しい母さまの事覚えてる、僕母さまには笑っていて欲しいんだ、だから」
アジェは俺を見上げニコリと笑う。
「僕の代わりにアジェになって下さい」
「は?」
 何を言われたのか理解が出来なかった、一体どういうことだ?
「もちろんフリだけでいいから、そんなに頻繁にとは言わないから、僕の代わりに母さまに会ってあげて、お願いします」
「ちょっと待て、そんな事…!」
「父さまには僕から話します、だからっ!」
 必死だった、母だと思っていた人は母ではなく、自分の存在すら否定されてなお、彼は母を想っていた。どうにもやりきれない。
「…分かった、やるよ」
「良かったぁ」
 アジェは笑う、何故笑う?あまりにも切なくて彼の頭を抱え込む。
「泣いていいんだぞ?」
「な…んで…」
 むしろ泣いて欲しいと思う、最初に会った時彼は泣いていたのに、それなのに今の彼は何も辛い事などないと言わんばかりに笑うのだ。今の方が絶対泣きたいはずなのに。
「誰も見てない」
 アジェの掴む手に力が入った、どれだけの思いでここに来たのだろう、この小さな体ですべてを抱えて。
 彼の肩が小さく震える、そして彼は静かに泣き出した。
 つらい、苦しいと叫んでも、泣き喚いてもいいのに、静かに嗚咽をこぼして泣く彼をどうしようもなく愛しいと思う。弟妹を思う気持ちとは全く違う感情、この子を守らなければ、そう思うのだ。
 彼の今の現状を作ってしまったのは間違いなく自分だった、遅かれ早かれ分かってしまう事だったかもしれない、それでも自分が彼に背負わせてしまった物はあまりにも辛い現実だった。自分が余計な事をしなければ、少なくとも母親がエディに笑いかける姿など見ずに済んだのだ。
「ごめんな」
 彼が泣きやむまでいつまでも俺は彼の頭を撫で続けた。同時に、自分は一生をかけてこの子を守るのだと、心に決めた。
 それは、父からも言われていた事だ、守ると決めたら命をかけてでも守り通せ、そんな人間と巡り会うために人は生きているのだ、と。父が母を命がけで愛しているように、自分は一生彼を守っていこうと、その時俺は決めたのだ。

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