時は流れる。アジェは自分が実子でない事を負い目に感じたものかどうか、何をするにも完璧を目指し努力した。領土の人々にも気さくに声をかけ、偉ぶることもなく、慎ましやかに彼は成長していき、そしてその傍らには常にエディが控えていた。
 アジェの護衛兼従者として召し抱えられたエディはアジェの身代わりも立派に勤め上げていた。
「母上、今日は山百合ですよ」
 たくさんの花を抱えるようにして、奥方様に手渡すと、彼女はにっこりと嬉しそうに微笑む。
「まぁ、素敵。でも、二人とも泥だらけなのね、お茶を入れるから土を落としていらっしゃい」
 あれから、八年の歳月が流れている、アジェは十五、俺は十七になっていた。この国での成人は十五なのでアジェももう立派に領主の片腕として働きはじめている、今日は隣町の見まわりがてら少し遠回りして山に入り花を摘んできたのだ。奥方様が好きだからと。もちろんアジェの発案だった。
 アジェはアジェの友人としてサラに紹介され、母がエディに笑いかけ、お茶を飲み、語らうのを横で嬉しそうにニコニコと眺めるのだ。もうすでにそれは日常で、誰も何も言わなかったし、床に伏せがちだった奥方様がすっかりお元気になられたので領主様も逆にエディに感謝の言葉をもらすほどだった。
「そういえば、最近物騒な話を聞くのよ」
「物騒な話?」
「ええ、父母からの手紙でね、どうもランティス王国に隣国メリア王国が侵攻してこようとしているらしいの」
 奥方様はランティス王国から嫁いできた貴族の娘だった、そしてまたエディの母もランティスの生まれである。カルネ領ルーンはファルス王国の中でも一番端にありランティス王国に程近かったが、いかんせん山を挟んでいるので簡単に行き来する事は出来ない、奥方様は父母の身を案じて顔を曇らせた。
「でも、おじい様達はメリア王国からは離れた場所にお住まいですから大丈夫ですよ」
 にこりと笑って、言うと奥方様も微かに微笑む、相当心配なのだろう。
「そうね、でもファルスもメリア王国とは国交があるけれど、大丈夫なのかしら?」
 怖いわ…とサラは一人呟く。
 きな臭い噂は巷でも静かに広がっていた、代替わりをしたばかりのメリアの王はずいぶんと野心家なのだと言う。聞けば、代替わりも先王を追い落としてのもので、少し前までメリア王国もずいぶん混乱していたらしい。だが、今はそれも収まり、メリアの王は視線を自国から隣国へ移したのだ。
 ここカサバラ大陸には3つの大国がある、1つがここファルス、そして2つめがサラの故郷ランティス、そして3つめが噂のメリアである。ファルス王国とランティス王国は地図上ではすぐ隣に位置するが、その間には険しい山と渓谷がありそこは簡単に行き来するのは不可能だと言われている。よって、国を行き来するには船を使いぐるりと廻り込むか、山脈の外れまで行って歩いて回り道をして行くしか方法がない。
 一方、ランティス王国とメリア王国の間には境になるものは何もなく、国境をめぐって小競り合いは遥か昔からあったのだという。メリア王国の首都サッカスは海に面しておりファルス王国とは船を使っての国交が盛んで、人の行き来もよくあった。なので、そんな所からその噂は流れてきたのだろうと予想された。
「大丈夫ですよ、戦争なんてそう簡単に起こるものじゃないですから」
「そうね、大丈夫ね、きっと」
 サラは微笑む、その後話題は山百合を摘むまでの奮闘話に変わっていき、皆が笑い平穏な日常だった。誰もがその幸せを疑いもしていなかったのだ、その日までは。


 その晩、家に戻るとまた父、ブラックの元に強面の男達が訪ねてきていた。彼らはいつも以上に険しい顔で父に詰め寄っている。
「最近よく来るわよねあの人達、この近くじゃ見かけないけど、どこから来てるのかしら?」
 妹のルネがそんな素朴な疑問を口にする。
 確かにこの辺では見ない顔だ、最近はこの男達とは別に黒髪のどこの訛りだか分からないような言葉を話す男達も頻繁に父の元を訪れるようになっていた。
 黒髪は山の民、忌み人としてこの近辺では嫌われている、父もまたしかり。山の民は旅人を襲い、金品を奪う、しかし父はそんな事をしたことはないはずだ…たぶん。それでも人々の目は厳しい。
そんな中でもその黒髪を隠す事もせず父は飄々と生きている、そんな父を絶対言う事はないにしても、自分は尊敬していた。これで、性格に問題がなければ、胸を張って尊敬してるって言えるんだけどな、言えば奴は増長するだけだ。
「おい、エディ、話がある、後で俺の部屋に来てくれ」
「なに?ここでは出来ない話なのか?」
 父の部屋は普段は立ち入り禁止になっている、二階の屋根裏にあるその部屋に、幼い頃忍び込もうとして窓から放り投げられて以来そこには近付いた事もない。首をひねりながら、なんだろう?と考える。ここ最近は何をした記憶もない。父はそれだけ言うと忙しなくまた男達との会話に戻ってしまう、まぁ、なんでもいいか、と晩飯にかぶりつく自分を母が不安そうに見ていた事にその時は全く気付きもしなかった。

 初めて入る父の部屋はなにやら雑然としていた。小難しそうな本やら、地図やら、色々な物が所狭しと転がっている。
「何?話って…」
 立ち入ってはいけない場所で何を語ろうというのか、柄にもなく緊張してしまう。
「エディ、お前ももう十七だ、今から俺の話す事をよく聞け。そして自分で判断して、自分で決めるんだ、いいか?」
 何を?と問う暇は与えられなかった。
「お前は俺の子じゃねぇ」
 青天の霹靂である。
「ましてやレネの子でもねぇ、昔、獣に喰われそうになっていたのを俺が助けた、お前は領主様の子だ」
「まった…冗談だろ?タチ悪っ」
 またいつもの悪ふざけだと思った、父は嘘をつくのが得意だったから。
「冗談じゃねぇーよ、くそっ!本当は言うつもりなかったんだ、でも状況が悪い、俺はたぶん近いうちに旅に出にゃあならん、その前に、お前にはすべてを知る権利がある」
 どういう事だ?
「なんでっ…知ってたなら、何故領主様の元に届けなかったんだ!」
 そうしていれば、奥方様が心を病むことも、アジェが身代わりになる事もなかったのに。
「知らなかったんだ、8年前のあの日まで。レネに話を聞かされるまで、知らなかったんだ」
 気付くのが遅すぎた…と父は言った。言うに言われなかったのだと。でも、だったら!
「聞きたくなかった、なんで今更っ!」
 一生黙っていてくれれば、一生気付かずに済んだものを。
「話がそれだけで収まらなくなったんだ」
「続きは、私が話すわ…」
 いつの間に来たのか、母レネが話を受ける。

 アジェ様は、とある高貴な御身分の方のご実子なのよ、と母は語り始めた。
 アジェ様は双子の片割れとしてお生まれになった、その家では双子は忌み子としてどちらかは殺されてしまう運命だったの、でもアジェ様の実母様はそれが許せなかった。だから、双子の男の子の一人を女官に託して逃がしたの…
「その女官が私」
 と母は言う。
レネは遠くへ、できるだけ遠くへと逃げた。女と赤ん坊、二人きりの旅は決して楽なものではなかった。獣に怯え、山賊に怯え、そしてついにある時魔が差したの…
「私はアジェ様を編み籠に入れて流したわ、どこか遠くへ行ってしまえばいいと思った」
 それでもレネは流した直後、我に返り後を追った、しかし籠はすでに裕福そうなご夫婦によって拾われていた。
「私が一人で育てるより幸せにしてくれると思ったの、だから、私はそのまま身を隠したの…なのに、その直後にあんな事があったなんて…」
 レネは肩を震わせ涙をこぼす。知らなかったのよ、何も、幸せに暮らしているのだと思っていたの、と。父はそっと母の肩を抱く。母はその後父と出会い、妹を生み、屋敷に奥方様の話し相手として雇われ、初めてその事を知ったという。
「エディの事も、ブラックの連れ子だというだけで、まさか領主様の子供だったなんて気付きもしなかった…」
「でも、だけど、そんな事、いまさらなんで?」
何故父母が今になってそんな話をするのか全く分からなかった。
「私は折にふれてアジェ様のお母さまに連絡を入れていたのよ、そしたら」
「十数年も音沙汰のなかった所から連絡が来た」
 父は難しい顔をする。
「アジェ様を返してくれ、とな」
「今更どうして…」
 全く納得がいかない。一度は捨てておいて、どうして今更…
「アジェ様の双子の片割れ、お兄様が何者かに襲われたのよ」
「それで…?」
 何故かふつふつと怒りが込み上げる。
「ここにきて、不安になったのよ。アジェ様達にはもう一人弟君がいらっしゃるけどたいそう病弱な方だそうよ、このままでは誰も残らないとお思いになったのかもしれない、詳しい事はその手紙には何も書かれてはいなかったわ」
「ばっかじゃねぇ!」
 いらないからと勝手に捨てて、必要になったからと呼び戻そうとする。子供は駒じゃない、感情のない人形でもない、何もかもが勝手すぎる。
「本当に勝手なもんだよな、俺も聞いてて腹が立つ」
「すでにアジェ様を連れ戻そうと秘密裡に動いている人達がいるみたいなの、場所は知られている以上、時間がないのよ…」
「でも、アジェ様は仮にも領主様の子供じゃないか、そんな勝手なこと…」
「関係ないだろうな」
 父は大きなため息をつき、母も小さく首を振った。
「相手はランティス王国、王家よ。アジェ様は正真正銘、ランティス王国第二王子です」

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