『親愛なるエディット=ラング様
 突然出て行くことを許して下さい。エディはきっと怒るから、言えばきっと僕に付いて来てしまうから、黙って出て行く事に決めました。
 僕はエディに出会えてとても幸せだったと思います。僕はエディが側にいるといつも甘えてしまうから、エディ、自分のやりたい事に費やす時間もなかったよね。ごめんなさい。
 エディはいつも僕の事ばかり考えて、僕が一番楽な道を歩けるようにいつでも考えていてくれたよね、ありがとう。
 だけど、僕はエディにも自分の幸せを見つけて欲しいと本当は前から思っていたんだ。僕自身がまだエディを手離せなくてずいぶん遅くなっちゃったけど、これはいい機会なのかもしれない。どうか父さまの後を継いで良い領主様になって下さい。
 本当はエディのお父さんだもん、もう領主様のこと父さまなんて呼んじゃいけないのかもしれないけど…ごめんね、これで最後にするから。
 エディ、決して追って来ないで下さい。これ以上エディの人生を狂わせるような事を僕にさせないで下さい。もう充分あなたの人生を狂わせてしまって…今更だけど、それでもエディには幸せになって欲しいから。それが僕の望みです。
 エディはきっと今までもそうだったように僕の望みを裏切ったりはしないよね?幸せな家庭を築いて幸せになって下さい。
 領主様、奥方様とも仲良くね、お元気で…
                    アジェ』
 何度も何度も書き直しながら文字を綴っているだろうアジェの姿が目に浮かぶようだった。
 だがしかし、俺はその手紙を破って捨てたい衝動にかられ震えていた。アジェは何も分かっていない!
 アジェがいなくてどうして幸せになれるのか?人生なんか、もうこれ以上狂いようがないほどに狂っている!
怒りがふつふつと込み上げてきた。
 言わせてもらえば、アジェは自分のせいで俺の時間がなかったと言うが、そんな事はどうでもいいのだ!自分が好きでアジェの為に時間を費やしていただけで、自分の時間を持とうと思えばいくらでも出来たのだ、それをあえてしなかったのは、そこに自分の幸せと存在価値をみいだしていたからに他ならない、なのにっ、そこの所がアジェはまったく分かっていないではないか!アジェはそれが俺の優しさからきているものだと勝手に思っているようだが、はっきり勘違いもいいところだ!俺はそんなに人の良い人間ではない、その証拠に自分の興味の向かない所にはいっさい時間を費やしていないではないか!
 アジェは自分のせいで俺が彼女の一人も作れないでいるとでも思っていたのだろうか?お門違いもはなはだしい。こんな事ならアジェへの好意を隠し立てなどするのではなかった、いや、むしろアジェは、アジェだけは気持ちに気付いているだろうと思っていたのに!気付いていて知らない振りをしてくれているものだと信じていたのに!身分が違う事は分かっていた、住む世界が違う事も。そもそも、その前に性別の壁がある、想いは叶うことはないと分かっていた、だが
「自分の幸せは自分で決める!一生かかってでも探し出すからな、覚悟しやがれっ!」
 俺は知ってしまった、アジェは俺の事が好きだ。
 自分宛ての手紙を握りつぶし、俺は領主様宛ての手紙を持って部屋を出た、覚悟はもう決まっていたから。

「ふぅ…む」
 アジェからの置き手紙を読んで領主は唸った。
 俺は領主様が手紙を読んでいる横で、自分はアジェを追うむねを伝え踵を返そうとするが領主様にちょっと待て、と引き止められる。領主様は黙って自分宛ての手紙を俺に差し出した。そこにはご丁寧にも、俺に絶対追わせるな、エディは実の子であるのだから、カルネ領の領主の後継ぎとして迎え入れ、立派に後を継げるようにしてあげて欲しい、と添えられていた。
 あんの野郎っっ!…と心で声を荒げる。
「アジェの言いたい事も分かるし、希望に沿ってやりたいとも思うが……行くのだろう?」
 長年アジェに仕えてきている俺の事を領主様はよく分かっていた。全てにおいてアジェ中心、そんな生活を長い事見守ってきたのだから。
領主様としてはこの際どちらが後継ぎでも一向に構わないと言う心境のようだ。少なくとも幼い頃からアジェの友人として接してきて信頼のおける人物だと思われているのだろう。
「アジェもなにも出て行く事などないのにな…私はアジェが可愛い、アジェが望むのならアジェの望むようにどのようにでも取り計らったものを…」
 領主様はため息を落とした。
「ここにいたら迷惑になるかもしれない、とそう思われたのかもしれませんね」
「そのような事、一人で背負わずとも、どうにかするつもりでいたものを…」
 手紙を返すと領主様はまたそれに目を落とす。
「領主様、私はそれでも、なんと言われようとアジェ様を追いたいのです、私は行きます」
 断固とした意思でそう言いきると領主様はふっと笑い俺を見た。
「止めはしないよ。否、むしろ追って欲しいと私は思っている」
「ありがとうございます」
 一礼をして、それでは、と踵を返そうとするとまたしても領主様に止められる。今度は一体なんなんだ。不満が顔に出たのか領主様は少し苦笑を漏らす。
「すまんな、実は先ほど首都イリヤから君宛てに使いの者が来ているのだよ。隣室に待たせてあるから、アジェを追う前に要件だけは聞いていってやってくれ」
 俺が領主様の部屋を訪ねた時、実は領主様も俺を呼びにやろうとした所だったらしい。
 イリヤからの使い?嫌な予感が頭をかすめる、少なくともイリヤに知り合いなどいないのだ。もしいたとするなら、あのクソ親父以外に考えられなかった。
「そう露骨に嫌な顔をするな。使いの方も遠路はるばる訪ねていらしたのだ、話くらいは聞いておあげ」
「はい、そう致します」
 言って部屋を出るが、気持ちは早くアジェを追いたいと焦るばかりで、俺はこのまま部屋には寄らずに行ってしまおうかと何度も思いながら隣室へと向かった。

 首都イリヤからの使いの者、それはなんとも形容しがたいほど綺麗な顔立ちをした男だった。ふわふわとした髪に、涼やかな目元、黙って立っているので等身大の人形が置いてあるのではないかと一瞬思うほどに男は微動だにせず、そこにいた。
「エディット=ラング様?それともアジェ=ド=カルネ様とお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
 無表情に男は口を開く。
「私はエディット=ラング、後にも先にもそれ以外の名前を名乗った事はないし、名乗るつもりもありません。一体なんの御用ですか」
 吐き捨てるように言うが相手はなんの感情も浮かべずこちらを見る。彼の顔はただでさえ人形のようなのに、その無表情はまるで本物の人形のように感情がない。それは不気味ですらあった。
「…失礼致しました、エディット=ラング様。イリヤより参りましたクロード=マイラーと申します」
 丁寧に深々と礼をする男にいらいらと腹立ちが募る。この瞬間にも、もしかしたらアジェが危険な目に遭っているかもしれないと思うと居ても立ってもいられなかった。
「それで私になんの御用ですか?」
「率直に申し上げましょう。あなたには私とイリヤにおいでいただきます」
「お断りいたします」
 言ってさっさと話を終わらせようとするが、男はやはり表情の読めない顔で
「あなたに選択の余地はありません。これは国王命令です」
 と言い放った。国王?いったいなんでここで国王が出てこなければいけないのかさっぱり分からない。
「国王?はっ、大きくでたな。国王様が俺にいったいなんの御用だって?こんな一介の大工の息子になんの用があるってんだ!」
 訳が分からず、怒りも手伝って失礼などと考えもせず言い放つが相手はまるで動揺の様子も見られない。
「あなたはカルネ家の御子息、カルネ領、領主の息子、すべては明白です」
「カルネを名乗るつもりはないと言ったはずだ!」
「命令には従っていただきます」
「断る!」
「国王様はこの地をカルネ様から取り上げる事もできるのですよ?」
 言い切られ、一瞬言葉につまる。これではまるきり脅迫ではないか。
「……くそっ!用件はなんなんだっ!」
「それは私の口から申し上げる事ではございません。私の使命は貴方をイリヤまでお連れする事です」
 クロードと名乗った男を睨み、だが、それに反発する言葉も思い浮かばずこぶしを握る。
「もう一人、貴方のご友人も一緒に連れてくるように仰せつかっているのですが」
「友人?」
「そう言えば分かるはずだと仰せつかっております」
「それも国王命令な訳?」
「極秘事項です」
 友人とは間違いなくアジェの事だろう。アジェがランティス王国の王子であると言う事が極秘なのか、クロードがそれを知っているのかどうかも判別しかねた。
 仮にもファルス王国、国王の使徒を名乗っているのだから、聞いても答えてはくれないだろうし、言っていいものかも判断が付きかねた。それに、彼がファルス王国の使徒である確たる証拠もない、罠である可能性も捨て切れなかった。
「彼は、いません」
「いない?」
「今朝出て行きましたから」
「そうですか…承知致しました」
 なんの感情の動きも読み取れなかった。
「それでは、すぐにでも発ちたいのですが、ご準備の都合もございましょう、出発は明朝ということでよろしいですか?」
「…分かりました」
 それでは、と言って彼は去って行った。今夜は村の宿に泊まるのだという。
「はぁ…もう、なんなんだよ」
 次から次へと事態は刻々と変わっていく。このまま命令を無視して飛び出して行きたいのは山々だったが、信実、彼がファルスの使いであれば、領主様にご迷惑がかかる。もうこれ以上領主様に悩みを増やすような事はしたくなかった。
「アジェ様、私が見つけ出すまで、絶対無事でいて下さいよ…」
 今はただ祈る事しか出来ない自分が歯がゆくて仕方なかった。

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