きつねとちき部屋。

□とちきの来た夜。
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ある初冬の晩、子狐を拾った。

狐と人を分かちがたくした姿の子供は、雨流俊樹という。自分では「とちき」としか言えない。二〜三歳児では、舌が回らないのだろう。
十兵衛が彼を拾ってすぐにした事は、下層階の十兵衛宅までの帰り道への途中にある閉店間際の雑貨屋へ行って、俊樹の換えの下着や枕、彼専用のお茶碗等を買い込む事だった。
すっかり重くなった荷物を抱えた十兵衛の後を、ちょこちょこと俊樹は着いてくる。やっと家にたどり着き、ドアを開けると、子狐はふんふんと家の中の空気を嗅いだ。どうやら、まだ少し警戒しているらしい。
「待っていろよ。今、晩御飯を作るからな」
そう十兵衛が言うと、俊樹はお腹を両手で押さえて心細げに答えた。
「とちき、おなかちゅいたの…」
「分かってる。今すぐに支度するから」
金色の髪を撫でてやると、にこぉと笑った。
整った顔立ちと相俟って、誠に愛らしかった。

「いただきまちゅ」
急ごしらえの雑炊を前にして、俊樹は肉球の付いた手を合わせてちゃんと挨拶をする。よだれが垂れそうな程空腹であるにも関わらず。
(これは育ちが良い。少なくとも、野の獣のように放置されて育った子ではない)
使い込んで飴色に染まった土鍋から雑炊を取り分けながら、十兵衛は思った。人の手で育てられたのなら、まだ自分でも俊樹を育て切る自信はある。
どんな育て方をされていたかは知らぬが、途中で放り出す輩には負けない。
「じうべ、もっとほちいの」
気が付けば、俊樹が小さなお椀を片手に十兵衛を見上げてきてる。十兵衛は少し笑って、控え目に雑炊を盛った。
「これ位がよかろう。腹八分目を心掛けねばな」
「はらはちぶんめ?」
「満腹より少し余裕がある事だ。あまり満ち足り過ぎてもいかん」
「きゅ」
こくんと頷いた子狐は、大切そうに雑炊を口にする。聞き分けのよさが、育ちのよさを表しているようだった。

夜食が済んで、風呂を沸かしている間、十兵衛は買ってきた俊樹のぱんつに尻尾を通す為の穴を開け、周囲をかがっていた。当の俊樹は、絵本など無いので十兵衛の手持ちの本で写真の多いものをめくって見ている。
「じうべ、これ、なに?」
「これは、南の国の蝶々だな。日本には居ないそうだ」
「ちょうちょ、きれい…」
青い眼に、遠い国への憧憬らしき色が浮かぶ。かつて子供の頃の自分を重ね見て、十兵衛は苦笑する。
結婚もしない内から、子供を育てようとは思わなかった。それもこんな異形の、だが愛らしいものを。
「俊樹、風呂が沸いたぞ。早く入って温まろう」
「はーいなのー!」
ててて、と歩み寄ってくる養い子を抱き上げて、十兵衛は金の髪を撫でる。ぴるぴるぴるっと狐耳が震えて、十兵衛の肩口に肉球が押し当てられた。
小さなぬくもりは、心地良かった。

『とちきとの翌朝』編に続く。
 

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