アレティエ子作り部屋

□いたいのとんでけ。
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沙慈・クロスロードはずっしり重い工具箱を片手に下げて、トレミーのキャットウォークを移動していた。工具箱を倉庫に戻しておいてくれとイアン・ヴァスティに頼まれたのだ。
働かざる者食う可からずというのは分かるが、不本意な居候である沙慈に対して、トレミーの連中は内情を見せ過ぎではないだろうか。
「まあ、見せられて困る内情まで見た訳じゃないけど…」
ぼやいていた沙慈は、ふと正面に眼をやってからぎょっとした。正面通路のキャットウォークのサドルに三歳くらいの女の子がぶらーんとぶら下がっていたのだ。
「あっ、危な…!」
女の子の手がつるっと滑る。
「危ない!」
がしゃん。
工具箱が床に落ちて派手な音を立てる。沙慈は自由になった両手で女の子を受け止める。が、勢い余って額をしたたかに壁にぶつけてしまった。
「あいっ、たっ、た…☆」
片手で額のこぶをさすった沙慈は、もう反対の腕の中でキョトンとしている女の子に声をかけた。
「あーいた…。だ、大丈夫かい?」
「だいじょうぶなの。おにいちゃま、ええと…」
小首を傾げる女の子が、自分の名前を知らない事に沙慈は気付いた。むろん、沙慈も彼女の名前を知らない。
「沙慈だよ。沙慈・クロスロード」
「ありがとう、さじおにいちゃま」
ぺこりと礼をした女の子が、続けて自己主張する。
「あたし、べるべっと。べるってよんで」
「よろしくね、ベルちゃん。っと、いたた…」
額のこぶがずきずきして、沙慈は顔をしかめた。ベルベットが幼い両手を伸ばして、沙慈の額を優しくさする。
「いたいのいたいの、おやまのむこうにとんでけー」
呪文を唱えると、ベルベットはにこっと笑った。
「これでだいじょうぶなのよ。いたいのとんでくの」
無邪気な言葉に、知らず沙慈の表情も綻んでゆく。
「ありがとう。痛いの、無くなったよ」
「えへへえ〜」
胸を張るベルベットの紫の髪の毛を撫でて、沙慈は初めてこんな歳の女の子に触れたなあと感慨を深くした。かつて側に居てくれた姉は、沙慈が物心付く頃には小学生くらいには育っていたし、ルイスの幼少時代を沙慈は知らない。
「ベルベット!」
不意に、横合いから声を掛けられる。沙慈の苦手な、ティエリアという少年?だった。沙慈の腕の中からベルベットが抜け出ると、ティエリアに手を振って声を掛ける。
「かあさま!」
「か、母様?」
確かに、ティエリアとベルベットは顔立ち的に酷似しているが…それでは、ティエリアは少年じゃなくて少女なのだろうか?
そんな沙慈の混乱状態には眼もくれず、ティエリアは娘の前に立って怖い顔をした。
「ベルベット、またサドルにぶら下がって遊んでいたな。落ちると危ないから駄目だと言っていただろう!」
「ごめんなさい、かあさま…」
しょもんとなったベルベットが頭を下げる。だが、ティエリアは怖い顔を崩さない。
「昨日も同じ事を言っていただろう!何度も同じ小言を言わせるようなら、尻を叩くぞ!」
「ごめんなさい〜…」
べそかき顔になった娘に溜息を吐いたティエリアは、初めて気付いたように沙慈に眼を向ける。
「君がベルベットを怪我しないようにしてくれたのだな。礼を言うぞ」
「あ、いや、その、僕は…」
あたふたする沙慈の腕を取り、ティエリアが促す。
「そのみっともないこぶを何とかしよう。医務室はこっちだ」
「ま、待って。工具箱を返してからでないと」

結局、工具箱を倉庫にしまった後、沙慈はティエリアに引きずられるように医務室に連れて来られた。ベルベットがスキップしながら後をついてきてくれるのがせめてもの救いだろうか。
ティエリアが額を消毒し、湿布を切って貼ってくれる。ベルベットは沙慈が座ってるベッドの端っこに座って、足をパタパタ打ち合わせていた。
「これで大丈夫だろう。…娘が世話になった。改めて礼を言わせて貰おう、沙慈・クロスロード」
「やっぱり…この娘は君の子供なんだ」
「君には今まで引き合わせた事がなかったな。僕と、アレルヤ・ハプティズムの娘だ。アレルヤは知っているな?」
沙慈は頷いた。アレルヤとは、二三度顔を合わせた事がある。黒髪に金銀のオッドアイの取り合わせが珍しくて、まじまじ見てしまった記憶がある。
「その…君は、あの彼が好きで、子供が出来たんだよね?」
「そうだ」
うろたえ気味の沙慈の問いにも、ティエリアはぴしりと答える。沙慈は縋るような声で更にティエリアに問い掛ける。
「じゃあ、どうして君は、戦ってるの?愛する人も子供も居るなら、戦うべきじゃないだろう?」
「それは『女性』に対しての偏見だな」
「そ、そんな…!」
言い切られて、沙慈はたじろぐ。そんな彼とは対照的に毅然とした表情で、ティエリアは語る。
「君にはこの世界がどう感じられるかは知らない。だが僕の知るこの世界は、僕の愛する者を大切にしない。僕の大切な人を生かそうとはしない世界だ。だから、僕は戦う」
ティエリアが真紅の瞳をひたと沙慈の上に据え、問い返してくる。
「君はどうだ、沙慈・クロスロード。君の愛する者を世界が迫害するなら、君は手をこまねいて黙視するのか。それとも戦うのか?」
「僕は…」
俯く沙慈に、ティエリアはそれ以上の問いは寄越さなかった。ベルベットはベッドから滑り降りて、若い母親の制服の裾に捕まっている。

翌朝から、沙慈のトレミーでの待遇は僅かによくなったように感じられた。身をもってベルベットを庇った事を好意的に受け止められたのだろう。
とは言え、相変わらずイアンの手伝いをさせられていたのだが。
そして今日も沙慈は、工具箱をぶら下げてキャットウォークを移動していたのだが、またベルベットがサドルにぶら下がっている現場に行き会った。そして案の定、またベルベットは手を滑らせた。しかし、彼女を抱き留めるには沙慈と彼女の間に些か距離があり過ぎて間に合わなかった。落下したベルベットは、お尻をしたたかに打った。
「う〜…」
スカートのお尻を押さえたベルベットが、うわーん!と大声で泣き出す。
「ベル!どうしたの?」
今度は彼女の若い父親がすっ飛んで来る。沙慈は何となく出て行き難くて、つい片隅に身を潜めた。ベルベットがべそをかきながら、父親に訴える。
「おしりうったの…」
「ん、見せてね」
片膝を付いたアレルヤが、ぺろんとベルベットのスカートをめくり上げ、お尻を所々指で押さえて「痛い?」と聞く。ベルベットはべそべそ泣いているが、そんなに痛がる様子はない。アレルヤがホッと肩の力を抜く気配がする。
「大丈夫。ちょっと打っただけだから」
同じオッドアイで見上げてくる娘の額をちょいと指でつっついて、アレルヤが言う。
「母様に言われてたよね。これにぶら下がるのはめっ、て。言う事聞かないから、悪いんだよ」
「わるくないもん!べる、わるくないもん!」
ベルベットがじだんだ踏んで駄々をこねる。アレルヤが視線を幼い娘と合わせて、おどけたように言う。
「おやぁ?じゃあ、どうしてベルは今、痛い思いしてるのかな?」
「う〜…」
思い当たる節があるのだろう。ベルベットが不承不承黙り込む。アレルヤがちょっと微笑んで、娘に向けて腕を広げる。
「おいで、ベル」
ベルベットが、父親の逞しい胸に抱き着く。アレルヤはベルベットのお尻を手袋をした手で緩やかに撫でた。
「痛いの痛いの、お山の向こうに飛んでけー」
父親の呪文に、幼い娘が笑う。
「もう、痛くないね?」
ベルベットがこっくりと頷いた。
「よし。じゃあ、母様の所に行って、言い付けを破ってごめんなさいって謝ろうね」
「うん…」
途端に腰が引けている娘に対して、アレルヤは少しだけ怖い顔をして、ふくよかな頬っぺたをつっつく。
「叱られる事から逃げたら駄目だよ、ベルベット・アーデ?」
しょもんとうなだれてしまったベルベットの髪を撫でて、アレルヤが笑う。
「ちゃんと母様に謝れたら、マドレーヌ焼いたげるよ?」
すると現金なもので、たちまちベルベットは元気になってアレルヤに訴えかける。
「くぐろふがいい〜」
「わかったよ。ちゃんと謝ったら、クグロフね」
「はあい〜」
苦笑するアレルヤが、ベルベットの小さな体を軽々と抱き上げて帰って行く。「じょーじぃぽーじぃ、ぷりんにぱい♪」と幼い娘の歌声がして、父親が一緒に歌っている。
その声が何となく聞き覚えがあるような、と思った瞬間、制御しがたく沢山の想い出が沙慈の中に沸き上がる。
(沙慈、ほら。もう痛くないでしょ?)
七五三の砂利道で転んだ沙慈の膝の砂を払って笑った、姉の絹江。
(沙慈ったらドジね!ほら♪)
遊歩道で転んだ沙慈に手を差し延べ、沙慈が手を伸ばせば笑って駆け去ってしまう無邪気なルイス。
姉とはもう会えない。ルイスは会ってくれない。
戦いの中に身を置く者達が愛する者達と一緒に居られるのに、何故平和な暮らしだけを望む自分は愛する者と隔たってしまったのだろう。
「姉さん。ルイス…」
泣き出す寸前の表情で、沙慈は襟元を探り、細い鎖を…そしてその先にぶら下がる金の指輪を握り締める。これが、沙慈とルイスを結ぶ唯一の証。
きっと、自分の道は彼女に続いている。きっと、生きていれば彼女に会える。そうでなければ哀し過ぎるじゃないか。
沙慈は人知れぬ涙を拭った。

「はい、これ。クグロフって言うんだ。よかったら食べて」
食堂で、アレルヤがさりげなく沙慈にフルーツケーキを手渡す。クグロフだと言う事は、ベルベットはティエリアに謝れたのだろう。
当のベルベットは、ティエリアの膝に腰掛けてクグロフを堪能している。
沙慈は、ティエリアとベルベットの方に戻って行くアレルヤの背中をぼんやり見ながら考えた。やはり、この若い父親の声は聞き覚えがある。何処で聞いたのか全然思い出せないけど。

翌日以降、ベルベットがサドルにぶら下がる遊びに興じる事は無くなった。


H22.04.27

ベルちゃんと両親と沙慈の話。沙慈はいつアレルヤが命の恩人な事に気付くんでしょうか…?



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