碧眼に滴る漆黒
□16.華は蝶を欺く
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今日は午後から立体起動の訓練だ。雲一つない空の下で周りの木が風で音をたてている。
その木もとで新兵たちは緊張した雰囲気を作っている。
みんないつもの訓練とは特別違い張りつめている。例えるならリヴァイが担当指導になった時と同じような感じだ。
新兵たちは班ごとに分かれて並んでいる。その中でも女子兵は特別気合が違う。
皆が盗み見るようにして左方奥の枝の上に目をやる。この雰囲気を作っている犯人だ。
「また俺外周かな・・・・」
「しっ!聞こえるぞ」
その声に並んでいるエレンも不図にそちらに目をやる。いるのは名簿を片手に少し伸びた金髪をしているハルだ。
一週間ぶりだ。エレンはハルをみてそう思っていた。
あの食堂の時からなんだかんだ訓練ばかりで忙しくハルを見かけたとしても通りすがる姿程度だ。
しかも見かけたとしても一方的で向こうは気づいていないだろう。
「5班、6班、7班訓練開始!」
その声でその班の新兵たちはアンカーを掛け枝から足を浮かせた。
ハルは枝の上で下方の新兵たちに目をやる。操作技術、飛行操作、判断処理、壁外調査では最も必要となるものだ。
新兵は足元の枝を素早く乗り換える。
ハルから見ていても先月から行っているこの新兵合同訓練には効果があったのは確かで前年の新兵に比べて動きはだいぶ良くなっている。
しかし、不足は不足だ。そう思いながら名簿の横に『×』とペンを走らせる。
ふとハルは一人の行動が目についた。
「ジャン・キルシュタイン」
そう低く透き通るような声が葉の掠れる音の中からはっきりと聞こえた。
「はい!」
ジャンは動きを止め内心ビビりながらもすぐにハルの元へ近寄る。
なんだ、なんかしたか?・・・・いや、ちゃんと班のまとまりの意識も怠ってない、操作だって完璧だったはずだ・・・・・。
ジャン自身大きなミスはしてないため見通しが付いていなかった。
エレンはそんなジャンの姿を横目で見ながらアンカーを前に訓練を開始した。
ハルはジャンが来たのを確認し淡々と言葉を放った。
「君は判断、操作はいいだろう。しかし周囲への観察が少なからず欠けている。右方200m奥の巨人模擬装置には気づいたか?」
「い、え、・・・・」
そう言われてジャンは右方の奥に目を凝らす。すると重なった枝と葉の間から微かに巨人模擬装置の影があるのが見えた。
「壁外なら死んでるぞ。観察は怠るな、班の奴らにも言っておけ」
「は、はい!」
まぁ、アレに気づくものはわずかだろう。実際ほとんどの兵が見落としている。
でもサシャ・ブラウスだっけか。あの女は500mも前で察知しやがった。あれは異様すぎるが観察力はずば抜けてるものがある。
「第8班左方に上昇!」
エレンはその指示を耳に入れながらアンカーを左方上方にかけ直した。
エレンはハルを盗み見るようにして目をやるとハルは手元の名簿を見ており少し落ちている睫が太陽の光で頬に影を落としていた。
そのときに強い風が吹きハルの髪が右に流され手で押さえているのが視界に入った。
「エレン!前!」
そのアルミンの声でとっさに視界を戻すとすぐそこまで木の正面に来ていた。
「っ・・・・!」
なんで・・・・!アンカーは左方にさしてたはずだ!
そう思いその方向を見ると目標地は合っている。問題は先ほどの強い風なのだ。
エレンは更に左方にもう片方のアンカーを掛けトリガーで一気に引いた。でも間に合いそうになく枝に突っ込んだ。
「エレン!」
聞こえたのはアルミンの声と包まれるような柔らかな感覚、そしてハルの微かな匂いだった。
誰かの手がお腹と肩に回ったのが分かり、急速にスピードが落ち、バランスが崩れた。
そのまま落下する感覚とゆっくりと制止しているのが分かった。来るはずの衝撃は来ず、逆さだっだはずの平衡感覚もいつの間にかもとに戻っていた。
その柔らかな衝撃にエレンは目を開くと目の前にハルがいた。金髪が顔にかかるその距離に心臓が止まりそうになる。
エレンはそのときハルが自分のために庇ってくれたのがすぐに理解できた。
「すっ、すいません!!俺の不注意で!!」
とエレンは土下座する勢いでハルと距離を取り頭を下げた。
やばい、こんなの呆れられたに決まってる!こんなミスするなんて最悪だ・・・・!!
エレンの頭の上からはハルの微かなため息が聞こえた。
呆れられた、嫌われた、馬鹿な奴だと思われた・・・・!
「分かってるならいい。風に対しても注意しろ。基本中の基本だぞ、次もそんな感じならもう訓練に来なくていい。」
それはエレンの予想している通りの言葉だった。肺が締め付けられるように呼吸が苦しくなった。
「申し訳ありませんでした・・・・!!」
ただエレンはそう言って頭を下げるしかなかった。ハルはそんなエレンの下がっている頭を掌で下から上に額を叩いた。
エレンからはその思わぬ衝撃に「いっ・・・・!」と微かに声が漏れその勢いで顔が上がった。
「俺は頭を下げてほしんじゃない。注意してほしいだけだ。まぁ、お前に怪我がなくてよかった。」
と頭を優しく叩かれた。エレンはハルの見せた優しげな表情に心臓がなった。
なんでこの人は俺を突き放してくれないんだろう。なんでこんなに惑わすんだろう。
なんでこの人はこんなにも狡いんだろう。
エレンはそう思いながら再び枝に戻るハルの後姿をずっと目で追っていた。